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静岡家庭裁判所沼津支部 昭和29年(少)162号 決定 1954年3月22日

本籍 愛知県○○郡○○村○○番地

住居 静岡県○○郡○○村○○番地○○寺内

○○寺寺男 大○○○

昭和九年生

主文

この事件を静岡地方検察庁沼津支部の検察官に送致する。

理由

一、事実

少年は、○○郡○○村所在の日蓮宗派○○寺の寺男として、昭和二十八年十月十五日入寺し、被害者である同寺の元住職小○玄○と同寺に同居していたものである処、同住職は性来剛情、多弁、吝嗇癖をもつ変調者であり、少年に対する態度も、多分に厳格冷酷であつたが、少年は入寺の後記事情から、これに堪え忍び、仕事に励んで来たのに拘らず、同住職が昭和二十九年二月十七日外出するにあたり、白木綿足袋の見当らなかつたため、少年に嫌疑をかけたことに端を発して、同寺の表六畳の間に於て少年と互に盜んだ、盜まないの口論の際、同住職が少年に対し、「お前は手癖が悪い。お前が居なくても俺はひとりでやつていける。」「お前は家へ帰れ。」と罵倒したため、少年はこれに激怒、一念同住職の背信に逆上し、矢庭に同人を殺害しようと決意し、同日午前十一時頃、同所に於て同人に飛びかゝり、同人を仰向けに押し倒した上、その場にあつた腰紐を同人の首部に巻きつけて締けつけたところ、これが切断したゝめ、更に同寺勝手場から薪割用よきを急ぎ持ち来り、これをもつて右暴行により半ば意識を失いつゝある同人の頭部を強打し、因つて同人をして脳出血により同所で急性死させ、以つて殺害したものである、

右所為は刑法第百九十九条に該当する。

二、少年の育成歴と非行歴

少年は、農業を営む父岩○の次男として生れた。

幼時、腸炎、急性肺炎等を患い、一時は医師も見放す位の虚弱児であつたため、両親は少年を過度に盲愛し、その躾を誤つた。

昭和十六年小学校入学後も少年は脱腸、骨柱後屈などで欠席が多く、しかも半面家を外にして悪友と交わり、すでに小学校第三学年在学中、友人五、六人と共に隣家から二十円窃取する等の非行がみられた。

昭和二十二年少年は本籍地の東郷中学校に入学したが、幼時次々と重病を患つたため、知能の発育は遅れ、注意散慢、持続性に乏しく、学業成績は下位に低迷して、ともかくも第一学年は修了したが、翌昭和二十三年八月に至り、友人と共謀して同中学の裁縫室内から紙袋二十束を窃取したものを始めとして、前後十八件の窃盜を犯し、これ等につき、昭和二十五年十月十九日名古屋家裁豊橋支部において不処分の決定、同年十一月三十日同じく同支部において審判不開始となつた。

昭和二十五年どうにか中学を卒業した少年は、家業の手伝をなしていたが、翌昭和二十六年正月早くも女遊びを経験した。同年一月五日から○○市○○工業会社に勤めたが、素行不良のため同年九月同社を罷免された。

昭和二十七年一月少年は大した動機もなく家出し、岐阜で不良仲間に入り、三ヶ月程浮浪していたが、その仲間と離れ、各地で人夫、土工、石工等をなして転々とする間、女遊びは激しく、また覚せい剤の注射を始める等その性行は放逸、怠惰の一路をたどつた。

昭和二十八年八月頃少年は窃盜の前科を有する大○明○と知り合い、同人と共謀し、三件の詐欺を犯し、その後引続いて同年十月までに七件の窃盜を共謀又は単独で累行し、その一部の非行により名古屋家裁豊橋支部において昭和二十八年十月十三日保護観察処分に付された。(その他の非行事実については同年十二月二十四日同支部において審判不開始決定、同年十二月十七日当沼津支部において不処分となつた。)

少年は、前記保護観察処分決定のあつた直後の昭和二十八年十月十五日親戚に当る鈴○豊○郎の世話で、同人の実父○○郡○○村○○寺の住職小○玄○方に入寺し、同人から行く行くは同寺を譲ると約束された。この後少年は住職の下で、朝は早くから農耕に従事し、夜は住職から経文、行儀作法の話を聞くなど、粗末な食事に甘んじて外出することもなく、ひたすら将来を夢みてか、今までの生活態度を一変して仕事に精励し、忠実従順に住職につかえていた。しかし少年は、昭和二十九年一月三日住職の余りに厳格、冷酷な仕打に堪え切れなくなり、暇を貰いたいと願出たが、住職に慰留されて思い止り、再び黙々と働き続けていたが、昭和二十九年二月十七日少年は、住職から足袋の紛失した件で、面罵され、将来を夢みて、抑制していた反抗心が一時に爆発して、遂に本件非行に至つたものである。

三、○○寺に於ける雰囲気

被害者は少年の母方の縁続きであるが、少年が被害者の長男鈴○豊○郎の世話で、被害者を頼り○○寺に入寺した心情は、今までの重なる非行に対する贖罪と、更生のため、また被害者から三年程したら寺も譲り、家も建てゝやり、東○寺の娘を娶つて夫婦にさせると口約されたことによるのであろうが、しかし、その深奥には、過去の自己の生活(旧悪)に対する逃避としての場を寺に求めたことも窺える。

被害者の性格は可成り少年の性格に似て居り、剛情、多弁、吝嗇、過信家で誇大な言辞を用い、少年に対する態度は相当厳格且冷酷であつたが、少年は被害者のもつ主義と教義に対しては、多分に崇拜協調し、被害者と行を共にし、将来は被害者の前記口約を信じ、同寺の相続に対する願望が大きな機制となり、被害者の態度、これに対する不満を抑制し、忍耐して来たものであり、情緒的に被害者に対して愛着を感じていたものではない。

被害者は昭和十八年十月十三日、当時空寺の前記○○寺の住職となつたが、その性格が非協調的、攻撃的なため、村民との間はうまく行かず、これに加えて金銭に強い執着を示し、これが要因となり村民と利害を異にし、檀家から寺有財産を横領した嫌疑で告訴され、これに関連する検察審査事件、民事訴訟事件等起り対立抗争を続けていたものであるが、少年は入寺以来、包蔵する前記願望が因となり、被害者に加担し後記性格から、自己を自らこの鬪争の渦中に於ける英雄にしていた。

四、少年の性格

1、少年は幼時期、脳炎による器質的欠陥が推理力、形態把握力の欠陥を生み、抑鬱的で、自己の言動に、自分自身が醉うところがあり、欲求不満や些細な外界からの攻撃が異常に刺戟して熱狂的な興奮と、陰険な攻撃性を起し、また自己過信が強く、内省はみられても、外的表出となるだけで決して心の底から反省できない。また二重人格構造と思われる傾向をもち、自己と相容れない者には如何なる手段をもとる狂暴性と、常に誰かに認められたい、依存されたいという二面を同時に表出する。

2、性的感情の異常が明瞭で、女性に対する必要以上の反撥と、男子の性器に対する著しい興味は少年の性的感情が不健全であることを示す。少年の性的混乱到錯は少年の性格に大きな徴候をなす。

3、知能は限界域にあつて、高次の抽象的概念構成が不完全で、精神活動の社会的適応に対する大きな欠陥をなす。即ち自己の行動を外界に適応する能力に欠け、この点の欠陥から少年はその経歴に見られる如く今まで多くの社会環境に対して健全な適応をなす事が出来なかつたのである。

4、少年には妄想性分裂症の徴候があり、特に怒り易く、暴行し易く、頑固、変屈で従順ではあるが、自己の考えを変える事が出来ないのが特徴である。

五、本件非行の解明

本件は少年と被害者との○○寺に於ける同居生活の中に釀成惹起した事件である関係から、周到綿密な調査にも拘らず、なお隠れた諸事情のあり得ることが想像される。しかし乍ら、本件刑事並社会記録に基き調査審判すると、本件は単なる怨恨や、一時的感情錯乱による犯行と断定できない要素がある。即ち本件少年は明らかに、変調者ではあるが、その故にのみ少年が犯行を惹起したものと考えられない。少年は審判廷に於て、本件の動因は、白足袋紛失事件を機会に被害者の顕示した背信態度により自己の欲望が破られ、また贖罪、更生の意欲を踏みにじられたことにあると述べている。しかし、これが本件犯行の機会となつているが、その基本的原因ではない。少年は当時の生活環境の中に於て前記願望をもつていたことは認められるが、これは殺人を敢行しなくてはならない程の比重をもつ原因ではあり得ない。本件非行を解明し、その原因を把握するためには、少年を取り巻いた諸要因を歴史的に社会的に考察しなければならない。そこで、考えなくてはならないことは、第一、少年は、その長い非社会的生活を通じて経験体得した強甚なる反社会的性格を保持していた。第二、被害者を中心とする前記寺に関する抗争である。少年の変質的徴候中、抗争性は潜在的ではあるが、強甚で、この抗争性が次第に昂められて、少年の妄想的な敵意と攻撃性に、自己に反するものを徹底的に抹殺するまでやまない変調を生じた。第三、少年が殺人という行為につき、一人の人間を自己の完全な支配下においたという独占欲を満足させる。第四、少年の性的な異常欲求と昂進は、精神的欠陥と相まつて、社会的に、何かに置きかえられなければならなかつた。第五、少年の如き異常性を示す者には、宗教的言辞は、かえつて過信性と妄想性を助長する。第六、少年の入寺以来の生活行動は、その前の非社会的生活行動と、全く対照的であり、斯る変身は、少年の如き知能低格者には重荷であり、常に抑圧と不満の状態にあつた。また少年の入寺の動機は甚だ功利的、妄想的な前記願望であり、しかして、これは脳裡の夢に終つた。

以上からして、少年の本件非行は、その精神的変調と、環境上の異常な雰囲気の中では避けられないものであつたと考えられる。前記機会に起つた少年の異常な敵意が殺害ということにより解消されるまで昂められたものであり、そうすると、本件非行は、少年の資質、性格から見て、犯罪化の傾向をたどりつゝある病的徴候の惹起されるべき外的因子が備いすぎていたと思料される。

六、結論

そこで、以上から本件少年のための保護方法について考えて見ると、少年調査官内海秀夫及び静岡少年鑑別所の各意見は、本件少年を医療少年院に送致すべきだといゝ、その理由は、前者は、知能低格な少年を人道的立場から、親心を以つて矯正教育をするため、後者は、少年の精神病質に着眼し、精神医学的治療をするためである。

さて、本件非行事実に卒直に示されている如く、本件の罪質と情状は少年犯罪に稀に見る悪質のものであり、その内容においては毫も成人の犯罪と区別を見ないであろう。しかも、本件少年の今までの一連の非行を時間的に考察すると、少年の要保護性の程度は高度に悪化している。しかし、ひるがえつて、深く本件非行の諸因を考察すると、少年は幼時多病虚弱のため、著しく精神、身体の発育が遅滞しているに拘らず、機械的年令級別によつて、社会へ送り出されたため伍する環境が悉く重荷となり、このためあるいは逃避、あるいは攻撃の機制によつて非社会的生活を累積して来たものであり、しかも、本件非行の行われた○○寺をとり巻く生活環境は、斯る少年を必然的に犯罪に陥れる外的因子を多分に包蔵していた。そうすると、本件についても、客観的犯罪事実の兇悪なことにのみ眼を奪われて、少年保護制度の理念の親心を以つて矯正教育する術を忘れてはならない。ところで、矯正教育による効果を十分に期待するには、その収容施設の現況と、少年の資質、性格、その非行歴、社会的協力等の諸要素を考合して如何なる施設を撰択すべきかを判断しなければならないところ、本件少年については、諸般の事情を考量すると、刑事手続による特別の保護の措置を講ずることが、少年を将来再び非行を繰り返えさない状態に善導することになると思料されるばかりでなく、このことが少年の更生、幸福のため、また社会福祉保持のためにも役立つものと考えられるのである。

仍て少年法第二十条により主文の通り決定する。

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